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野村英登の霊学研究日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-07-26

陳攖寧「黄庭經講義」訳注稿(8)

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 過去の訳注稿は以下の通り。

 (1)http://lingxue.g.hatena.ne.jp/nomurahideto/20061020/p1

 (2)http://lingxue.g.hatena.ne.jp/nomurahideto/20061125/p1

 (3)http://lingxue.g.hatena.ne.jp/nomurahideto/20061221/p1

 (4)http://lingxue.g.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070222/p1

 (5)http://lingxue.g.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070426/p1

 (6)http://lingxue.g.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070531/p1

 (7)http://lingxue.g.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070705/p1

 今回は第八章を訳出した。

 

第八章 断欲

 神仙家の初期段階の修行は、若返りを重視している。身体内の精や気が欠損し、皮膚や肉体が充実していなければ、絶対修行を行って時間をかけてこれを補い、その本来の状態まで回復させる。その補完の方法には三つある。第一に、飲食により栄養を口から摂取する。第二に、呼吸により空気を鼻から摂取する。第三に、開閉により元気を毛穴から摂取する。この三者を一身に寄せ集め、蓄積し、醸し出していく。集めては錬じ、錬じては凝結させ、内は骨髄を充たし、外は肌膚を華やがせ、霊府の神は清く、丹田の気は満ち、そうなってようやく長生の効果が明らかになり、老いや病のある世界から遠く離れるのだ。しかしこのような効果を得ようとするならば、房事を断たなければ無理である。古今の養生家が述べる節欲などは、神仙家の本旨ではない。いたずらに節制を言っても、目的が果たされることはなく、確実に断絶することで、ようやくすべての効果を得るのである。男女の交わりを禁ずるのみならず、術法によって精が出てくる穴を閉ざし、永遠に漏らすことが無くなるまでやめないのだ。あるいは、それならば彭祖の説をどう理解すればよいのか?と言われるだろう。それには、彭祖が行ったことは、最初から仙道ではなくて、房中術によって寿命を延ばしたに過ぎず、ともに論ずるに適当なものではない、と答えよう。そもそも淫欲のもとが動き出すのは、身中の潜在的な力が、欲望に感応したり、外的刺激を受けたりすることで、無作為に発動してしまうものである。しかし人の潜在的な力には限りがあり、こっちでたくさん使えばあっちで倹約しないといけない。仮に人間の生活が禽獣と等しいものであれば、食事や性交以外に大事なことはないので、欲望のほしいままにまかせるだけのことである。しかし人の世は複雑で学ぶべきことも多いものだから、すべてにおいて身中の潜在的な力に頼って力の限り対応することになる。もしもこの力の淫欲で消耗した分が多いと、他で使える分が必ず少なくなり、何事に対しても、成し遂げることが難しくなる。修練だけそうならないわけがない。あるいはまた、『悟真篇』に「妻を休めて陰陽を隔たらせたりしない。」とあるが、この言葉は断欲の趣旨と対立しないのかと問われることがある。それには、私が言う断欲とは、世俗の男女が精を交じわらせることについて言ったのだと答えよう。一般的には、学び初めの基礎作りの段階では、必ずこの一戒がなくてはならない。対して『悟真篇』が伝えているのは、金液大還丹の妙道である。神仙眷属は、世俗からはみ出ており、常識ではかれるものではないのである。

引証《黄庭経》本文

 長生の至慎は房中の急、何為ぞ死と作り神をして泣かしめ、忽として禍郷に之き三霊滅さん *1。但だ吸気に当たりて子精を煉じ、寸田尺宅に生を治むべし。若し海決に当たり百涜傾けば*2、葉落樹枯して青青を失ふ*3。気亡び液漏るるは己の行ひに非ず*4、閉を専らとし景を御せば乃ち長く寧らか、我が泥丸を保ちて三は奇霊たり。(内景経第二十一章)急ぎ精室に中りて妄泄する勿く*5、閉じて之を宝とすれば長く活くべし。(内景経第二十二経)長生の要妙は房中の接なり。(外景経第七章。この句には深い意味が含まれている。)

解釈

 長生の術を修めようとすれば、もっとも戒めなければならないことは、房中の事である。どうして世の人は死の危険をおかすのだろうか。精と気を枯渇させ、神のよりどころをなくすようなことをして、泣かずにすむことがあろうか。精気神とは人身における三つの霊的な物質で、それぞれが連帯関係にある。試しに灯明を喩えにしてみると、人身に蔵されている精は、皿に蓄えられた油のようなもので、油の量が十分であれは火は盛んに燃え、火が盛んに燃えれば光がより明るくなる。逆に、油が無くなれば火が消え光も消える。火は人における気のようなもの、光は人における神のようなものである。精がいっぱいあれば気が盛んになり、気が盛んになれば神が十全に働く。ここで貪欲さから精を枯渇させるとする。精が枯れれば気が散じ、気が散ずれば神が滅び、あっという間に禍に転じてしまう。しかし人がこれまでの過ちを悔い改め、淫欲を断絶し、さらに吸気煉精の術を使えば、大事はなし得る。「寸田尺宅」と言われ、その小ささはもとよりたいへんなものだが、これを保守し、これを拡充し、力を尽くして取り組まんとすれば、百代続く事業を打ち立てることもできないことではない。もし房中の行いにおいて、気がなくなり液が漏れてしまうことは、その勢いは海や川が決壊するかのごとく、その現れは木が枯れ葉が落ちるようなもので、まったくもって私が行おうとしているものではないのである。男女の交合の道を閉ざすことに専念することで、長生と健康の福運がもたらされるのだ。泥丸を養うことができれば、脳髄が満たされ、精気が常に凝結されていれば、神魂は安定する。だから修行者がもっとも優先することは、精を閉じて漏れないようにすることである。そうすれば生命は長く生きられるだろう。

 考えてみると、永遠に精を閉じて排泄しないようにすることは、仙道を修行する者の第一の要点とはいっても、すでに身体を損なっている人は、これを行うにあたって、しばしば極めて困難であると感じるだろう。服薬して効果なく、運動して効果なく、独身禁欲して効果なく、正心誠意をもっても効果なく、参禅打坐して効果なく、各種宗教信仰しても効果がない。六字気、八段錦、易筋経、開三闢、転河車、小周天、大周天、種々の工夫をことごとく使ってさえも、依然として効果がなく、時々精を漏らすどころかかえって欲望が高まってしまう。もしそうした自然な流れに身を任せて、阻止することなく、一ヶ月に数回精を漏らしたり、数ヶ月に一回精を漏らしたりしても、身体の健康を損ねるようなことはもとよりない。惜しむらくは、神仙になることを志願したことは水に流してしまうということなのである。こうした事情を知って、実態に即して行動するべきである。他者の言葉によって、一つのことにこだわってその他のことをいっしょくたにしてはいけない。道を伝えるには、群を抜いた学識がなくてはならないし、道を受けるには、天賦の聡明さがなくてはならない。その後に順序立てて善導し、浅いところから深いところへ、旁門をすべて経たあとで、最後に正しい道に回帰する。夫婦の関係を廃さずに、子孫の係累を少なくし、男女の交合を離れずに、造化の支配を受けなくする。道書において「男子の茎中に聚精無く、婦人の臍中に結嬰せず。」と言われ、また「男子の修成は精を漏らさず、女子の修成は経を漏らさず。」と言われるものは、確かにその修行に効果がある。世の豪傑で、造物主の陰陽の働きにもてあそばれることをよしとしない者は、熟考するならこの言葉においてこそではなかろうか。

*1:雲笈本は「滅」を「歿」に作る。

*2:雲笈本は「海決」を「決海」に作る。

*3:雲笈本は「落」を「去」に作る。

*4:雲笈本は「行」を「形」に作る。

*5:雲笈本は「中」を「守」に作る。

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