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以太

以太

エーテルの訳語。譚嗣同をはじめ清末明初の思想家たちによく使われ、磁気や電気と同様に、目に見えないが実在することを客観的に保証してくれるものとして、受け入れられた。

竹内照夫「思想の歴史」

 中国の形而上思想が現実主義的もしくは物質主義的である、というその正確を物語る実例の一つに、次の現象がある。それは漢民族の伝統思想の中に、本格的な哲学上の形而上説とは別に、一種独特の道徳的元気の形而上説が保持されている、という事実である。古代の孟子の「浩然の気」論、宋末の文天祥の「正気の歌」、近代の譚嗣同の「仁とエーテル」の論などがその著例である。

……浩然の気にしても正大の気にしても、その気を形而上的な根元者のごとくにして立論するのは、一種のアナロジー(比喩)であり、道義の存在根拠を強調するための表現技巧である、と見る人もあろうが、わたしは、孟子も文天祥も道徳的機能の実質的根拠を求めて、気を定立したものであり、単に比喩的にその(浩然の気とか正大の気とかの)実在を唱えたのではない、と思う。そしてこの見解は、次に示す譚氏のエーテル説によって一層確実性を増すように思う。

 譚嗣同(一八六五-九八)は、清末戊戌政変の際に刑死した民国革命の先駆者であるが、かれは持論として「仁はエーテルの作用」と唱えた。エーテルとは、ひところ西洋の物理学界を賑わしたエーテル仮説の概念である。この仮説によると、空間中にエーテルという微細物質が満ちていて、これが媒体となるために光・熱・電気・磁気などが伝達され、交流するのであるが、譚氏はこの説をさらに拡大し、人間を相互に心理的に連結し、和合親愛せしめるのも実にエーテルの作用であり、中国の伝統倫理における仁は、このエーテルの人間交感作用が完全に果たされることにほかならない、と主張した(『仁学』)。--かれはこのように仁愛の精神に対し物質的根拠を与え、道徳の機能についての人々の信頼を強固ならしめようと計ったのであるが、こうした考え方の基本には、前述の(浩然の気や正大の気の)ような、中国古来の道徳的元気の形而上説が存在するのである。

『中国古典文学への招待』、平凡社、1975年所収。pp.15-16。当該箇所の初出は1969年と思われる。

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